旅行の目的として、好きな作品の舞台やロケ地を巡る「聖地巡礼」は外せません。
今回は日本とも非常に関わりが深い台湾映画の聖地巡礼をしてみました。
映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』は、日本統治時代の1931年に台湾代表として甲子園出場。決勝まで進出した嘉義農林学校の実話に基づいた映画です。
台湾での公開とともに大ヒットを記録。
日本では2015年1月24日に公開。現在も全国各地の映画館で上映されています。
『KANO~1931海の向こうの甲子園~』の背景
台湾は17世紀から、オランダ、スペイン、鄭氏(鄭成功一族)、清朝、日本、中華民国……と、外来政権に統治された歴史が続きます。
日本の統治下にあったのは、1895年~1945年の50年間。
日清戦争後の下関条約で清朝より割譲されてから、第二次世界大戦で中華民国に返還されるまでの時期です。
その当時の台湾は「内地人(ないちじん)、本島人(ほんとうじん)、蕃人(ばんじん)」の3つの民族が住んでいました。
内地人は「日本内地からやってきた人=日本人」。本島人は「元から台湾に住んでいた人々(17世紀以降に中国から入植してきた漢民族)」。蕃人は「原住民族」のこと。
日本統治時代の小学校は、日本人向けの「小学校」と、台湾人向けの「公学校」があり、中学校(旧制中学)は元々日本人だけが通える学校でしたが、大正時代に台湾人向けの実業学校(商業、工業、農業)が設立されて、台日共学制になったことで、中学校に進む台湾人の数も増えました。
嘉義農林学校も、そのような実業学校の一つです。
高校野球の前身「全国中等学校優勝野球大会」の開始は1915年。
1921年からは日本統治下の朝鮮と満州、1923年からは台湾からの代表校が出場するようになりました。
ただし「台湾代表」といっても、チームの主体は日本人。
嘉義農林学校が代表校になるまでは、台北3校が優勝校+全員日本人選手でした。
嘉義農林学校の野球部は、1928年の創設当初から「三民族混成」というチーム編成。
設立年度の全島大会は初戦で惨敗するほどの弱小チームでしたが、甲子園の強豪・松山商業(今でも名門ですね)の元監督:近藤兵太郎がコーチとして現れたことで、物語が始まります。
聖地巡礼先リスト
物語の舞台となったのが、台湾の西南部に位置する嘉義(かぎ)。
台湾でも有数の穀倉地帯で、東には阿里山があります。
日本統治時代に木材輸送の為の森林鉄道が作られて、現在でも阿里山へ行く時に訪れる地域です。
嘉義ではロケ地や当時の面影を残す場所を見ることができます。
映画『KANO』の世界観をより一層味わえる、聖地巡礼先をまとめてみました。
七彩噴水圓環・呉明捷投手の銅像
▲5月の17時頃はちょうど逆光で写真が撮りにくいので注意。
野球部員が「甲子園!」と言いながらランニングする際に登場する、中央噴水池と圓環(ロータリー)。
嘉義市立棒球場から中央噴水池まで、部員たちは毎日のようにランニングを行なっていた訳です。
中央噴水池の圓環には、嘉義農林高校のエースピッチャー呉明捷(ゴ メイショウ)の彫像が置かれています。
彼の独特の投球フォームも再現。
以前は同じく金色の鳥の彫像が置かれていたようですが、映画KANOの公開を記念して入れ替わったようです。
近くには鶏肉飯で有名なお店「噴水雞肉飯」もあります。
新台湾餅舗
老舗のお菓子屋さん。日本式のおまんじゅうや羊羹が売られています。
日本統治時代の1901年に、吉田秀太郎氏が嘉義で初となる菓子店「日向屋餅舗」をオープン。
戦後、日本人経営者は台湾を離れましたが、働いていたスタッフが同じ場所に「新台湾餅舗」を開店しました。
劇中では「日向屋餅舗」として登場。
嘉義舊監獄(獄政博物館)
「KANO」写真館vol.9
ここ何だかわかりますか?嘉義舊監獄という嘉義の刑務所跡です。正式には獄政博物館といい見学できます。扇形放射状に配置された監房と展示スペースなど広い見学コースはたっぷり一時間。(続く) #KANO1931 pic.twitter.com/YeQe1bHKQl
— KANO 1931海の向こうの甲子園 (@KANO1931) 2015, 2月 12
「KANO」写真館vol.10 嘉義の刑務所跡、獄政博物館で撮影したのは近藤兵太郎監督が会計の仕事をする職場。机には打順を考えたメモやボールがあり、 時計が4時を告げるとさっさと職場を後にしていましたね。(続く) #KANO1931 pic.twitter.com/OZIHpGX2js
— KANO 1931海の向こうの甲子園 (@KANO1931) 2015, 2月 13
獄政博物館は、在来線の嘉義駅からタクシーで約10分。火曜〜日曜まで、9:30、10:30、13:30、14:30の1日4回、説明は中国語のみですが見学ができます。入場は無料。皆さんも一度行かれてみてはどうですか? #KANO1931 pic.twitter.com/6pMuBS9gGf
— KANO 1931海の向こうの甲子園 (@KANO1931) 2015, 2月 13
刑務所跡。
近藤兵太郎監督が会計の仕事をする職場として、撮影に使われました。
現在は博物館になっており、独房に入れたり、台湾の刑務所のジオラマがあったりと、観光スポットの一つとして人気があります。
入場は無料。所要時間は1時間くらい。
林森東路と維新路に面しており、国立嘉義大学森林區と対面しています。今回は道を間違えて辿り着けず……。
檜意森活村「KANO故事館」
嘉義から阿里山へ行く阿里山鐡路の站「北門站」近くにある檜意森活村(Hinoki Village)に、「KANO 故事館」があります。
近藤兵太郎監督の自宅として使われた古い日本家屋(日本統治時代の林務局職員の宿舎)には、撮影に使用された数々の品物が展示されています。
営業時間は10~18時まで。入場料は30元。日本語のパンフレット(10元)もあります。
この場所には日本統治時代に阿里山から切り出した上質のヒノキを集める為の集落があり、2010年にアート拠点&観光地として跡地が生まれ変わりました。
ちなみに阿里山のヒノキは、靖国神社や東大寺など多くの日本の寺社仏閣やお城の修復・建築に使用されています。
檜意森活村には似たような建物が多いので、最初訪れた時はどの建物かすぐに分かりませんでした。
KANO故事館の近くには池があるので、それを目安にすると良いと思います。
▲地図には「嘉義故事館」とありますが、確かこの場所なはず。
台鉄嘉義駅より徒歩で20分。
國立嘉義高級商業職業學校
当時の嘉義農林学校の跡地。
近くまで行くと良く分かりますが『KANO』アピールが半端無かったです。
國立嘉義高級商業職業學校から嘉義市立野球場までの道のりには、嘉義農林学校の説明が書かれた案内板が各地に置かれており、日本語でも説明が書いてあるので、台湾語が分からなくても大丈夫。
嘉義市立棒球場(野球場)
1917年に地元の製糖会社や有力者が費用を出して作られた野球場で、嘉義農林の事実上の専用練習場(自校無いに練習場がなかった為)として使用。
完成当初は「理想的な球場」ともてはやされましたが、赤土と粘土で作られた平坦ではないグラウンドは、守備や走塁時に苦労したと言われています。
1998年に改装。近代的な野球場に変わりました。
▲正面にある野球バットのブロンズ彫刻。
「嘉義農林学校が日本の甲子園へ行き健闘した」ということが書かれています。
▲七虎耀諸羅
1968年と1970年にリトルリーグのワールドシリーズに出場した嘉義の少年野球チーム「七虎少棒隊」にまつわるブロンズ彫刻。
嘉義公園
映画の序盤で野球部員が近藤監督に呼び出された嘉義神社は、嘉義公園内にあります。
▲射日塔
本殿は1994年に火災で全焼。跡地に展望台「射日塔」が建っています。
外壁は阿里山神木、中央に描かれた太陽と人のレリーフは、台湾の原住民族の「射日神話」がモチーフになっています。
映画で登場する嘉義神社は桃園県忠烈祠(旧桃園神社)を使用。
1972年に日本と台湾が断行した際「日本統治時代の帝国主義的な物は全て排除する」として、台湾各地の神社が取り壊されましたが、桃園神社は住民や学者の反論を受け、外地の神社としては珍しく当時の社殿がそのまま残されています。
▲嘉義市史蹟資料館
当時の手水舍、参道、石燈、狛犬などは未だ残っており、社務所・斎館は「嘉義市史蹟資料館」として一般公開されています。
嘉義公園の北東部に位置する植物園「嘉義樹木園」は、選手たちが野球の練習した場所として使用されています。
嘉義公園には他にも孔子廟など見所がたくさんあり、ゆっくりお散歩するのにもちょうど良さそうな場所です。
国立嘉義大学・蘭潭校区
近藤兵太郎監督と蘇正生の銅像、写真は、国立嘉義大学からお借りしました。 #KANO1931 pic.twitter.com/3JNdLw9K9v
— KANO 1931海の向こうの甲子園 (@KANO1931) 2015, 2月 18
ロケ地ではありませんが、国立嘉義大学の蘭潭校区には嘉義農林学校にまつわるモニュメントが多数存在しています。
- 「天下の嘉農」野球ボール型モニュメント
- 嘉農の栄誉の軌跡が刻まれた石碑
- 蘇正生の銅像
- 近藤兵太郎監督の銅像
國立中正大学
全島大会の圓山運動場の撮影地として使用。
圓山運動場は全国中等学校優勝野球大会の台湾大会(1923~1941年)のメイン球場として使われていた場所で、本来は台北市にあります。
野球場として使用された後、サッカースタジアムに変わり、現在は圓山公園になっています。
蒜頭糖廠宿舎群
濱田先生の宿舎外として使用。
日本統治時代、台湾で3番目に作られた製糖工場。
その他
その他、KANOと縁がある建物をまとめて紹介。
- 順天堂(嘉義市忠孝路232號)……醫院道具
- 山陽堂(嘉義市中山路218號)……電影書局。呉明捷の幼なじみ「阿静」が働いていた書店。
- 嘉義座(嘉義市文化路155-2號)……嘉義戯院。嘉義の映画館。嘉農と嘉中が争った場所。
- 嘉義東市場
- 嘉義火車站(嘉義市中山路528號)……大通遊行
嘉義への行き方
日本から台湾へ行く国際便がある空港は「桃園国際空港」「台北松山空港」「高雄国際空港」があります。
桃園と松山は台北にあるので、嘉義へは高雄国際空港を利用した方が1時間ほど早く着きます。
【今回の嘉義旅行の場合】
1.関西国際空港から飛行機で高雄国際空港まで行く。
2.高雄国際空港からMRT(高雄捷運、地下鉄のこと)に乗り、高雄駅まで行く。
3.高雄駅から台湾鉄路管理局(台鉄、日本で言うJR)の自強号(=特急車両)に乗り、嘉義駅まで行く。
バスの停留所がいまいち分からず、途中でタクシーが拾えなかったので、嘉義駅から嘉義神社まではずっと歩きましたが、寄り道せずに歩いても40分近くかかる距離です。
嘉義駅でレンタサイクルを借りるか、嘉義駅から出ているバス(BTTなど)に乗ることをおすすめします。
いかがでしたか?
私は野球や高校野球の話に疎く、台湾の野球部が甲子園に出場したことすら知りませんでした。
嘉義に住んでいる台湾の友人は「台湾でも知らなかった人多いよ」という話だったので、映画『KANO』をきっかけに知った人が台湾・日本問わず多いのだろうなと思います。
実際に嘉義を訪れてみると「どこにでもありそうな普通の地方都市」で、この土地からはるばる日本まで来た人々がいたことに不思議な感慨を覚えました。
今回は紹介できませんでしたが、映画では嘉義だけではなく、台湾台南市にある日本人技師、八田與一(はったよいち)が建設に携わった烏山頭ダムも登場します。
嘉義や烏山頭ダムは、台湾の観光ツアーでもあまり特集が組まれていない所なので、行くにはなかなかハードルが高いとは思いますが、映画自体は是非とも一見の価値ありだと思います。
(書いた人:昼時かをる)