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人の為にお金を使うと、本当に幸せになれる?3万円を10人以上に使って気付いたこと

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あなたに臨時ボーナスを差し上げます。3万円です。
ただし自分の為には使ってはいけません。他人の為に使って下さい。
期限は一ヶ月です。

という課題が与えられた時、あなたはどうしますか?

誰に何を、いくら使うでしょうか。
そして「自分ではなく他人に使う意義」について、どう思うのでしょうか。

人にお金を使うことの意味については、自己啓発本などを読んでみても、色々と言われていることです。

・人間関係にお金を使うと、結局は自分に跳ね返ってくる。
・お金を使って人を喜ばすのは、先の大きな利益を生み出すきっかけになる。
・人の為にお金を使った方が、幸福感が上がる。

……しかしながら、それは本当のことなのでしょうか?

今回はそんな稀有なケースに巡り合ったある一人の人物のお金の使い方や考えたことを、紹介してみたいと思います。

お金を使った相手、用途、金額

「人の為にお金を使う」を実施したのが2月3日~3月3日の1ヶ月間だったので、圧倒的に「チョコレートをプレゼントで贈る」が多くなっています。
その点に留意して読んでいただけると幸いです。

台湾の友人3人に桜チョコ(計3,240円)

▲京都ふらんすやのはなざくらL(28個)

学生時代に知り合った台湾の友人が、日本に遊びに来るという話だったので「バレンタインデーも近いし、男3人ならチョコレートを渡しておくか」と思い、できれば日本らしさを感じられるチョコレートが良いなと考えた結果、桜型のチョコレートを選びました。

奈良観光後、帰る間際に紙袋ごと渡した所「これは何?」と質問されたので「バレンタインデーだから!」と答えると「あぁ義理チョコレート」と分かってもらえました。

「今日は本当にありがとう」「また台湾に遊びに来て下さい」と言われて別れた後、Facebookを見たら、3人中2人(もう一人とはFacebookで繋がっていない)が桜チョコレートの写真をコメント付きでアップしていました。

「我的第一個情人節巧克力!(意訳:私の初バレンタインチョコレート!)」とあったので、訊いてみると「台湾ではバレンタインデーは恋人限定で、恋人が居ない人にとっては何も貰えない」とのこと。

週刊少年ジャンプ+で連載中の『ヘタリアWorld☆Star(42話)』では、「最近この女性からチョコレートを贈るのが『KAWAII』と台湾でもちょっとはやりつつあるようです」と書いてあったのですが、あんまり浸透はしていない感じでした。

台湾人の気質かどうかは分かりませんが、一緒に行動中は鹿せんべいや昼食を奢ってくれるなど、ものすごく親切にしてもらったのが印象深いです。

その後、ホワイトデーの時期に「返礼がしたい」「ビッグサプライズですよ」という前置きで、私が非常に感激したものが届きました。

台湾で一家に一台あると言われる、伝統的な調理家電「大同電鍋」。
以前、Facebookで「大同鍋欲しいけど、台湾でしか買えないんだよね」と書いたのを覚えてくれていたようでした。

大同電鍋は色々な種類があるのですが、もらったものは10人分用(私は一人暮らしです)で、値段にして贈ったチョコレートの約9〜10倍以上。

「ホワイトデーは3倍返しと言うけど、3倍以上でしょ!?」とメッセージを送った所「3人で3倍」「3人で3倍だから9倍」とあっさりした返事が返ってきました。

正直、友人から高価なプレゼントを貰ったことがなく、それがまさかの海外からだったのもあって、驚きと衝撃、嬉しさ「こんな高価な物を、わざわざ私の為なんかに……」と、何とも一言では言い表せない色々な感情が湧き上がりました。

ネットで大同電鍋の使い方を調べてもいまいち良く分からず、結構自己流に使ってはいますが、煮物や蒸し物、ご飯を炊くのに何かと活躍してくれています。

ちなみに台湾に行く機会があった時、買いに行こうと思っていたのですが、思った以上の大きさだったのでプレゼントで送ってもらって本当に良かったなと思います。

友人Oへムーミンチョコ(1,188円)

ムーミン好きな友人Oにはムーミンチョコ。

「中見ても良い?」と箱を開けようとしたまでは良かったのですが、リボンが堅結び状態で開かなかったので、そのまま持って帰ってもらいました。

ムーミングッズで消耗品、季節物を考えた結果、チョコレートを選びましたが、彼女は甘い物がそれほど得意では無いので、もう少し何か別のものを考えれば良かったのではないかとも後悔。

友人Sへのチョコとお見舞い(計3,972円)

友人Sはスヌーピー好きなので、チョコレートもスヌーピー系を選びました。

チョコレートを(友人O経由で渡す)数日前に、Twitterで「腹痛が酷くて病院に担ぎ込まれて、CTスキャンを撮った」と呟いていたので、お見舞い金を3,000円ほど包むことにしました。

チョコレートとお見舞い金は上記の友人O経由で、問題なく手元に渡ったと思いますが、反応は皆無。
先日、数ヶ月ぶりに会った時「ダンジョン飯は持ってきた?」と、借りていた漫画の返却の催促は有ったもののお礼の一言も無し。

それは今に始まったことではなく、何かを直接渡しても「ん」の一言程度で、特別に感謝されたり、その後に特にお返しが有ったり、私への扱いが変わったりすることは無いです。

それでも私は構わず友人Sにプレゼントや必要に応じてお金を渡す理由は、単純に「自分の好意と自己満足から行なうもの」だから。
「見返りを期待してプレゼントを渡す相手」としては、友人Sは非常にコストパフォーマンスが悪いと思います。

それでも抵抗や躊躇なく、安価高価問わず何でももらってくれるのは「いや、良いですから。そんなの受け取れないです!」何かと遠慮しがちな人に物を渡すよりも気分的に良いのは確かです。

嫌な言い方すると「何の見返り無く貢いでいる」という自覚はありますが、それでも交友関係が続くまで、私は金品を渡し続けるのだと思います。

亡き祖母へあんぽ柿(398円)

「他人に『故人』は入るのか?」と悩んだが、私基準で良いことにしました。

義理の母(姑)と嫁の仲が悪いのと同じように「父方の祖母と女孫」も相性が良くない場合が少なくないです。

ご多分に漏れず、私はそれに当てはまり、実家で同居していた祖母とは小学生以来、良好な関係を築こうとしていませんでした。

それでも、先日、四十九日法要の関係で帰省する際、生前好きだった干し柿を買って帰ることにしました。

やはり手ぶらで帰るのは気が引けたのと、帰省する2日前、仕事をしていた際に突然、祖母が使っていたファンデーションのニオイや口臭が自分の躰から漂い、口の中が食べてもいない干し柿の味がする、という不思議な体験をしたのが、大きなきっかけ。

私には全く霊感がない(強いて言うなら、数年前に十三のホテルに泊まった際、得体の知れない何かに顔をツンツンと触られたくらい)が、何となく無視する訳にもいかなかったのです。

帰省後、あんぽ柿は他の供物品と同様に祭壇に供えました。

記憶にある限り、私が祖母個人の為にお土産を買ってくるのは、小学校低学年くらいに行った東京ディズニーランドのマグカップ以来ではないかと思います。

正直、相手がこの世に居ないからこそ、お土産を買ってこれるだけの心の余裕ができたのではないか?と後に振り返って感じたことです。

相手の反応は正直良く分からないのですが、自分の中で一つ整理が付けられたのは間違いないこと。

ちなみにあんぽ柿は食べる人が他に誰も居なかった為、祭壇に供えた後、私が責任をもって食べましたが、好物だった富山干柿とは全く違う味だったので「何か駄目だったかもしれない」と思います。

叔母さんに串カツソース(189円)

以前、大阪で叔母さんと串カツを食べたことがあり「今度、法事で帰ってくる時、串カツソースがあったら買ってきといて」という要望を前から聞いていたので、串カツソースを買って行きました。

叔母さんはお金を払う気満々だったのですが「いや、お土産みたいなもんだから、別にお金は要らん」と断りました。

今回数十人に対して、何かをプレゼントをしてきたが、多分、一番嬉しそうに「ありがとう!」と言われたように思います。

「10人以上にお金を使う」で、唯一、相手の欲しいものを渡したのがこの時です。

実際に料理で使っているかどうかは知らないが、最も相手が喜ぶものをプレゼントできたように思います。

やはり相手が考えに考えて選んだ物よりも、自分が欲しい物をもらった方が嬉しいだろうなと感じました。

家族・親戚22人にフィナンシェとマドレーヌ(計3,564円)

兵庫芦屋の洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」のフィナンシェとマドレーヌ入りバレンタインギフト。

四十九日の法事がちょうど2月14日のバレンタインデーであり、他の親戚達が持ってくるお菓子は和菓子系ばかりと予想していたので、地元では手に入らないような洋菓子を選んでみました。

22人分の個包装で持って帰りやすく、予算が2,000~3,000円前後の洋菓子ギフトを、ちょうどバレンタインデーシーズンで、ほとんどチョコレートしか売っていないお菓子売り場で選ぶのは非常に時間がかかりました。

それだけの苦労と時間をかけた割に「親戚たちが家に持ち寄ったお菓子の一つ」という扱われ方で、法事の席では食べられることはありませんでした。
母が持ち帰り用の荷物の中に他の法事のお菓子と同様に分けて入れたらしいので、ほとんどの人の反応を知りません。

唯一聞けた感想といえば、母の「良くあるフィナンシェよりもバターの風味が良くて美味しい」の発言だけでしたが、それが聞けただけでも、散々何を買えば良いか悩みに悩んで、閉店5分前にようやく購入した甲斐はあったように思います。

ちなみに先日、美味しい物に詳しい友達に帰省土産には何が良いか聞いた所「クラブハリエのバウムクーヘンとか良いんじゃない?日持ちとか気にするなら、リーフパイとか個包装のギフトもあるし」と、さらっと有益な情報を教えてもらったので「あぁ、何を買うか困った時は、そういう界隈に詳しい人に聞けばグダグダ悩まずに済んだな」と思いました。

友人Kにブタ型チョコ(1,080円)

▲幸せを運ぶブタのチョコレート「トゥット・ベーネ」のフェスタ

高校時代からの友人Kは「大のブタ好き」なので、チョコレートもブタにちなんだものを用意しました。

tutto beneは基本的にインターネット通販か百貨店の催事でしか購入できない商品で、ちょうど阪神百貨店のバレンタインフェアに出店していたので、出不精ながら買いに行きました。

正直な反応としては、リアクション的にはブタのチョコレートよりも、母が持たせた「おわら玉天」の方が喜んでいました。「何で私が玉天好きだって知ってたん?」と言われたので「あぁ本当に好物な物を渡すのが最もその人が喜ぶことなんだな」と再認識しました。

自分としてはお土産として軽い気持ちで渡したのですが「何も用意してなくてゴメン」と気を遣わせてしまったので、人に何かをプレゼントする難しさを改めて感じました。

帰宅した旨を知らせるメールには「わざわざブタのおみやげまでありがとう」と書いてあったので、ブタのチョコレートも多少は喜んでもらえたのでは無いかと思います。

友人NにチョコとWebマーケティングの本(計2,376円)

▲ゴンチャロフの「縁起物」と、松尾 茂起『沈黙のWebマーケティング −Webマーケッター ボーンの逆襲−』

家が近所で中学校時代から付き合いのある友人Nは、現在ウェブデザイナー職に就いています。

色彩や形の方に関心があるのは長い付き合いで知っていたので、「普通の見た目で美味しいチョコレートよりも、見た目がちょっと変わったチョコレートの方が良いだろう」と思い、日本の縁起物を形どったチョコレートを選びました。

それと会社での仕事のあり方に悩んでいるようだったので、何か参考になればと「Webマーケティング本」、Twitterで「ポーチが欲しい」と呟いていたので、ラミネートで作ったテトラポーチも渡しました。

反応度としては「テトラポーチ>Webマーケティング本>チョコレート」の順で「このポーチ、○○さんが作ったの?えーすごーい」と言われてしまいました。
テトラポーチは家にあったラミネートで作ったもので、上記の値段には加えていないのですが「お金で物を買うよりも、自分の為に何かを作ってもらった」方に、喜びを感じる場合もあるのだなと思いました。

ちなみに『沈黙のWebマーケティング』は496ページもある大型本で、沈黙のWebマーケティング ―Webマーケッターボーンの逆襲―の書籍版です。何か仕事での気付きのヒントになれば良いなと思って贈ったのですが、部屋の置物にならなければ良いなと遠くの方から願っています。

起田総司宛にチョコ(1,620円)

▲フーシェ「オリンポスの煌めき/Planete(6個入り)」

起田総司とは、週刊Dモーニングで(私を含む一部の人から)絶賛連載中の『やわらかい。課長 起田総司』の主人公です。

いわゆる「二次元キャラクターに渡すバレンタインチョコ」で、作者のカレー沢先生宛にチョコレートと手紙を送りました。

後日カレー沢薫先生のTwitterを見た所「起田宛にチョコレートが届いていた」ということだったので、無事に届いたようです。

キャラクター宛のチョコになると、友人や知人間のやり取りと異なり「個人宛てに何かお返しがある」は、ほとんど期待できません。
それでも送ってしまうのは「好きだから」「もっと作品を書き続けて欲しいから」というファン心理の成せることなのだと思います。

一ノ瀬櫂宛にチョコ(1,512円)

▲ゴンチャロフ「プチデザートアラモード(6個入り)」

一ノ瀬櫂は、週刊モーニングと週刊Dモーニングで連載中の『スイーツ本部長 一ノ瀬櫂』の主人公です。

ちょうど私待望の初単行本『スイーツ本部長 一ノ瀬櫂(1)』の発売後だったので、お祝いを兼ねて贈りました。

作者の佐々木善章先生に作品の感想を書いた手紙やチョコレートをのは、今回初めてだったのですが、後日、Twitterのアカウント宛に「ものすごく感動した」という旨のメッセージが届いていました。

「作家生命や作品の寿命を伸ばす為は、感想を送ったり、分かりやすいファン活動をしたりするのが良い」「直接作者に感謝の気持ちを伝えた方が喜ばれる」という情報は前々から聞いていたので、バレンタインデーは良い機会だと思い、実践してみたのですが、そういうのに少しでも貢献できたのではないかと思います。

上記で書いていた通り、作家さんに渡すチョコレートやプレゼントに関しては、見返りやお礼の言葉などは特に何にも期待していなかったのですが、2巻の発売日にサイン入り単行本とお礼のお手紙が届いたのは、本当に驚き、感激しました。自分では本当に軽い気持ちで贈ったものが、相手にとってはすごく嬉しいことだったのだなと、改めて思います。

ちなみに帰宅前に最寄りの書店で2巻を購入済みだったので、現在我が家にはスイーツ本部長の2巻が2冊あります。

母校への寄付1万円

「3万円を人の為に使う」で、真っ先に思ったのが、母校(出身大学)への寄付でした。

ウェブサイトの寄付に関する項目を読んでみると「個人の寄付は最低1万円から」ということだったので、色々とお金を使っても最低一万円は残るように工面しました。

寄付金が使われる用途は自身で指定できるようになっていたので「学生奨学金制度への支援」と「学生生活活動への支援」に5000円ずつ寄付。

在学時に大学の学修奨励奨学金(半期の学費を給付)を受けており、情報保障(ノートテイク、パソコンテイク)の形で、障がい学生支援活動にも携わっていたので、多少でも学生の役に立ちたいと思ったのが動機です。

4年間で給付された金額を考えると、本当に微々たるお金だなと思うのですが、それでも「やらない偽善よりやる偽善」。

(後日、寄付を証明する書面が届くらしいのですが、数週間経った今でも音沙汰が無いです。また追記があれば記載します)

気付いたこと

寄付より友人や知人との関係性にお金を使った

当初の予定では半分以上の金額を「寄付」に当てる予定でした。

大学に寄付する以外にも、例えば私が普段お世話になっていたり、関心事が高かったりする図書館やLGBT関係の団体、障がい者や子どもへの支援、環境保護活動、震災支援なども候補に考えていました。

それでも実際には友人や知人関係へのお金の割合が高かったのは、用途不明や大勢の中の一人として扱われるよりは「きちんと明確に喜んで貰えそうな相手にお金を使った方が良い。自己満足度が高い」と、無意識の内に思ったのではないかと思います。

特別なことがない限り、現金は渡しにくい

私が三万円を人の為に使うを終えた後、カンニング竹山さんが「幸せになって欲しい人に1日で1万円を渡す」という企画を実施していたことを知りました。

私は現金をそのまま渡したり、何かを奢ったりするよりも、プレゼントの方がハードルが低く、相手が気兼ねしにくいだろうと思って、そちらを選んだのですが「欲しくない物をもらうより現金の方が嬉しい」とは思うだろうな、という気持ちはどうしてもあります。

喜ばれるお中元やお歳暮で、現金や商品券が毎年上位にランクインしていることからも「貰いたい物、もらって嬉しい物」のギャップはどうしても生じてしまいがち。

今回、現金を渡したのは友人へのお見舞金と大学への寄付でしたが、仮に全員に現金を渡していた場合、相手はどのような反応を示したのか気になる所ではあります。

相手のリクエストや好物に応える方が喜んでもらいやすい

今回、私が贈ったものの多くは「これなら相手が喜びそうだな」と自分の独断と偏見で選んだものです。

しかしながら、実際に反応が良かったのは、以前から相手が欲しかったものくらい。

「サプライズ+相手が欲しいと思っている物」の組み合わせが最も満足度を上げる方法としては効果的だなと思いました。

お金を使って幸福度が得られやすいのは「自分>他人」

マイケル・ノートンの「幸せを買う方法」では、「人の為にお金を使った人は幸福感が増し、自分の為に使った人は変化なし」という調査結果を出しています。

今回、一円も自分に使わず、人の為にお金を使い終わった後「自分の為に3万円使った方が有意義ではなかったか?」というのが本音にあります。

3万円あれば、美容院へ行きぼっさぼさで乱雑な髪を真っ直ぐ艶のある髪にできる、高くて手が出ない高級下着を一式揃えられる、肩と腰がバッキバキなのをマッサージで何十回もほぐせる、ペルソナ4ザ・ゴールデンとPSVitaも問題なく買える……。

自分の為に使った方が、幸福感をいくらでも上げられるように思いました。

情けは人の為ならず

それでも人の為にお金を使うを実践して、一ヶ月経って強く感じたのが「情けは人の為ならず※」でした。
(※「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのだから、誰にでも親切にしておいた方が良い」という意味)

私は基本的に社交的な人物ではなく、プレゼントを渡した人々とその後会うことが全く無かったので、基本的にもらった時の反応しか「自分の満足度を高められる」手段はありませんでした。

その中で、プレゼントのお礼の品として台湾の友人たちの「大同電鍋」と、佐々木先生からの「サイン入り単行本」を受け取った時「あぁ3万円を人の為に使って良かったな」と心の底から思いました。

「親切」とは、またニュアンスが異なるのですが「相手にしたことが、自分に返ってくる時、自分が感じた満足感よりも何倍にも強い幸福感を感じる」のを実感しました。
これは体験してみると良く分かるのですが、ものすごくドーパミンがどぱどぱ溢れるような「正の感情」にどっぷりつかれます。

私が考える「人の為にお金を使うことの意義」

人の為にお金を使うのは「単なる自己満足に過ぎないのでは?」と思うことは多々ありますし、実際に行なっている時も強く感じました。

それでも自分ではなく、他人に使う意義は何かしら確実にあるのだと思います。

例えば「私はあなたのことを大切に思ってますよ」「離れていても、お土産もって会いに行きますよ」という意思表示や「良い取り組みを続けて欲しいので少額ながらカンパします」「これからも漫画を描き続けて下さい!作品楽しみにしています」という応援メッセージなど。それらを形で表す時に、お金がかかるのは良くある話です。

全てが自分に目に見える形で返ってこなくても(実際に大半は返って来てません)、返ってきた分で幸福感も満足感も充分に得られました。

確実に見返りがあると思って、人にお金を使うのではなく「何かあれば良いかな」くらいに考えておけば、何も無かった時のショックは少なくて済み、後日お返しや反応があった時のテンションは爆上がりします。

冒頭に書いた「良く言われる人の為にお金を使う意義の話」に戻りますが、

・人間関係にお金を使うと、結局は自分に跳ね返ってくる。
・お金を使って人を喜ばすのは、先の大きな利益を生み出すきっかけになる。
・人の為にお金を使った方が、幸福感が上がる。

に関して「そんなに上手くいくはずは無い」「自分では起こらないだろう」と思っていたのですが、実際にはどれも当てはまってしまったのが不思議なものです。

何も「人にお金を使った方が良いから、破産覚悟で人にお金を使いましょう」とはさすがに言いませんが、たまには「自分以外の人にお金を使ってみる」「自分のお金の使い方に関して、ちょっと振り返ってみる」を実践してみると、今まで実感したことがない「思い」を感じられるのではないかと思います。

(書いた人:昼時かをる)